2016年04月14日

21st STS その②

どうもネフィです。
風邪を久しぶりに引いてしまって鼻水が止まらなくて気持ち悪いです。馬鹿は風邪引かないなんて言いますけどアレは嘘ですね・・・。間違いない。

今回は21st STSの隊員さんを紹介しようと思います。
一人目はこちらの方です。
21st STS その②
(引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Zachary_Rhyner
ザカリー・レイナー技術軍曹という隊員さんです。適当にCCTでググってもかなり上位の方の画像検索でてくるので知っている方はかなり多いのではないでしょうか。ちなみに自分がCCTをやろうと思った切っ掛けでもある方であります。

彼はショック渓谷での戦いでの行動が評価され空軍十字章が授与されました。
ショック渓谷の戦いは2008年4月6日のCommando Wrath作戦の途中に発生しました。この作戦にはODA3336と100名ほどのANAコマで構成されたタスクフォース・ブッシュマスターにて行われました。レイナー軍曹はODA3336へアタッチをしていました。
21st STS その②
(引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Zachary_Rhyner
手前のマルチカムの隊員がレイナー軍曹 奥のODA3336の3cが渋いですね・・・。

この作戦の目的は、ヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派(HIG)の指導者であるグルブッディーン・ヘクマティアルの捕縛或いは殺害が目的だったようです。(名前がややこしすぎる)ちなみにこの組織は、アフガニスタン国内ではタリバンに次ぐ巨大な組織らしいです。

部隊はアフガニスタンのヌリスタンにある渓谷へCH-47での侵入を行ったようです。しかし、渓谷は斜面がキツい場所が多くCH-47が着陸することができず、CH-47から飛び降りることを余儀なくされました。このロスタイムでHIGはODA3336への偵察を行い、待ち伏せを行うための時間を与えてしまいました。

HIGが潜伏している村へ潜入しようとしたとき山の尾根からRPGや機関銃の掃射を受け、この時の攻撃で通訳が1名が死亡しレイナー軍曹は胸に1発と足に2発の銃弾を受け重傷を負ってしまいます。しかし、コンバットカメラマンのマイケル・カーターの応急処置のおかげでレイナー軍曹は一命を取り留めました。

レイナー軍曹は治療を受けると戦線へと復帰し、上空のF15にCASの指示を行い部隊が態勢を立て直す時間を作りました。その後上空のF15からの報告により大規模なHIGの増援がこちらに向かっていることを知ります。この報告を受け部隊は負傷者が出ていること、天候の悪化、弾薬の不足などを考慮し脱出ルートの捜索を開始します。

レイナー軍曹は部隊が撤退を行うまでの間空爆を指示し続け、最後の部隊が撤退した後も一人で残り部隊が安全な場所まで退避するまで留まり続けました。この戦闘はおおよそ7時間続き、レイナー軍曹は計50回の機銃掃射、9回のヘルファイアミサイル、1ダースの500ポンド爆弾と1発の2000ポンド爆弾を要請したそうです。結果的に部隊はグルブッディーン・ヘクマティアルの殺害に失敗し、作戦は終了しました。

レイナー軍曹のこの行動は高く評価され空軍十字章を受賞されるに至りました。軍曹はその後もハイチ地震の人道支援に参加し、今でも21st STSで活動している様です。

今回はこの辺で終わります。(もっと自分に英語力があればショック渓谷の戦いを詳しく書けるのですが・・・)
次回も隊員さんの紹介になると思います。

ありがとうございました!




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Posted by ネフィ  at 21:30 │Comments(0)部隊について21st STS

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